2025年8月1日金曜日

”風遊人” -プロバイダー料金と「サ-イ・イサラ」- 2025.8.1(金)

  流石に、35℃までは、なかったようだが、

まだまだ、熱中症の危機が去ったわけではない。

 一ノ関では、雨が降り出したというが、

こちらは、曇って来ただけ。

 

 プロバイダー料金を支払う。

先月は、6590円。

 これが、例えば、年金生活者の”特別割引料金”というような

料金設定は、出来ないものなのだろうか?

 ぜひ、検討していただきたいものだ。


2008年6月号とある。

よく、とって置いたものだ、それほど、整理をしていなかったという事だな。

古い物は、どんどん資源ごみへ。

 まだまだ、山のようにあるよ。


裏表紙。

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 ” この旅、果てもない旅の つくつくぼうし ”

  -- 山頭火 --

 <山頭火句集 ちくま文庫>より



2025年7月30日水曜日

"乱読私” -- 確率捜査官 御子柴岳人 ファイヤーゲーム -- 神栄学:著 2025.7.30(水)

  相変わらず、雨がない。今日で、何日目だ。

昨日は、とうとう、愛宕の観測所で、38.2℃を記録した・・と、新聞記事。

今日は、そこまで、上がらなかったみたいだけど、

やっぱり、35℃は、あったろうな。

 

 相変わらず、

新妻友紀・女性刑事の気づきの遅さには

いらいらするものの、それが、著者の小説の組み立て方なら

いたしかたあるまい。

 まあ、それで、楽しんでいるのだから・・・。

裏表紙は、なんもない。

 図書館の前で、同級生のM君とS君に会う。(名前は、日記だけ)

なんと、同級生のO君が、亡くなったという。

 それこそ、竹馬の友くらいに遊んだ仲だったし、時々は、FBも

見ていたりしてたんだけど・・・・。

 この春の事だという。

男石の家も土地も、売り払ってるので、こっちに、思い出らしきものは

無いんだけど。あるのは、頭の中の記憶だけに、なってしまうな。

 さびしいもんだな。

 O君の話は、思いだすたびに、つらつら、書いていこうと思う。

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 ” ダムの上 灼けて土工の 墓二十 ”

  -- 西東 三鬼 --

 < 日々の歳時記 PHP文庫>より

 * カムチャッカ半島で、大地震。

  その、津波警報が、12時間経過した今でもTVに出ている。

  久茲で、1.2メートルの津波を観測とか。

* 相変わらず、つまらねえ気象庁のコメント。

  いくら、専門バカでも、もう少し、気の利いたコメントしろよな。


2025年7月27日日曜日

" 懸賞生活” --ビッグコミック8月増刊号-- 2025.7.27(日)

  アンケ-ト・懸賞で、当たったとしても、500円の図書カードくらいなんだけど

それでも、当たるのは、小気味いいじゃんか。

 そんなわけで、買った雑誌や新聞の懸賞、プレゼント・コーナ-なんかは

時間の許す限り、「先ずは、応募」という事でございます。ハイ。


 細野不二彦氏の”ギャリーフェイク” 

 わたせせいぞう氏の”なつのの京”

 高橋ツトム氏の”ロージ―”

 さいとう・プロ作品の”銃器職人・デイブ”

なんて、ところでしょうかね。

 あまり、単行本までして、揃えようとは思わんだけど・・。


裏表紙。

自分のコインねぇ?

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” いちにちを 下京にゐる 鱧茶漬け ”

 -- 橋本 榮治 --

<俳句歳時記 夏 角川ソフィア文庫>より


 夜になっても、雨が来ない。

天気予報では、来そうだったのに。

暑さには、ウンザリだ。

明日から、工場。

すっかり、休んじまったな。


”乱読私” -- 三丁目の夕日 昭和歳時記 -- 西岸良平 2025.7.27(日)うす晴れ

 今、スマホの温度計は、32℃。

風がない。

涼しいうちに、町内会のチラシを作ってしまおうと

二階で作業(Excel)を始めたものの、月一のものなのに

もう、先月のやり方を忘れてしまってる。

途中で一旦、休憩。(飽きるのだ)

片付けをかねて、ブログ打ちに。

陽が照らないだけ、まだ、ましか。


  先日、TVの”けんみんショ-”で、瀬戸内に住む人は、

波が立つ、太平洋や、日本海が”恐い”と話していた。

おいらの感覚では、波があって当たり前で、海水浴は土用波の

もとだった。

 宮城の渡波の海水浴場で、溺れたのは、小学4年の夏か。

親父に助けてもらった。

それから、しばらくは、泳ぐ事が出来なかった。

いまでも、海で泳ぐことは、多少、こわいなあ・・と、感じるよ。


 これで、一冊は、机の上から消えた。

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 ” 歩き行く 地が砂になり 海水浴 ”

 -- 古屋 秀雄 --

<俳句歳時記 夏 角川ソフィア文庫>より